高知城の築城に取り掛かったのは1601年、関ヶ原の戦いの翌年です。
本丸と二の丸が完成したのは1603年、徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開いた年です。
全城郭が整ったのは1611年、着工以来10年を要しました。
それから百年余りが経過した1727年、城下が大火に見舞われます。
高知城も、天守をはじめとして、ことごとく焼け落ちてしまいます。
消失を免れたのは、城の玄関に当たる追手門(おうてもん)だけでした。
その後、1749年に天守が再建されます。
本丸・二の丸・三の丸の全体が再建されるには、25年もかかっています。
明治に入り、全国の城郭に対して廃城令が発令されます。
高知城でも、二の丸と三の丸などの建物は、取り壊されました。
残されたのは、天守などの本丸建造物と追手門 だけでした。
現在、追手門越しに天守の姿を眺められるのは、全国で高知城だけです。
〈 四万十川の沈下橋 〉土佐紀行
〈 四万十川の源流部 〉土佐紀行
前回の問題 解答
サウード家とアブドルワッハーブ家による 「サウジアラビア王国」が始まった1744年当時、江戸幕府の将軍職に就いていたのは徳川吉宗です。
今日の問題
本丸の全ての建物と追手門が現存している城郭は、全国にいくつあるでしょう。
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