カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

〈 能登半島・九十九湾 〉本州の海岸線一周 その59

 本州の海岸線一周の旅は、富山県を後にして、石川県に入ります。
 行政的には石川県ですが、地形的には能登半島です。

 能登半島の東海岸を進めば、西側に大きく窪んできます。
 七尾南湾・七尾西湾・七尾北湾と、続きます。
 大口瀬戸を過ぎると、富山湾沿いに進むことになります。

 国道249号線から県道35号線に入ってしばらく行くと、広大な富山湾とは対照的な小さな湾が連続してきます。
 「百」には届かないものの、数え切れない程ということで「九十九」と名付けられた「九十九湾」です。

 海岸の岩壁に沿って、遊歩道が整備されています。
石川県 九十九湾 岸辺の遊歩道

 海中には踏み石も設置されています。
 踏み石を渡っていると、海面を歩いているかのような錯覚に陥ります。
 海とは言え波が無く、水面はあくまでも穏やかです。

石川県 九十九湾 海中踏み石

 ただし、岩壁には大きな穴が開いていました。
 普段は波静かな九十九湾でも、波の浸食は続いてきたはずです。
 時には想像を絶する大波が打ち寄せたことがあったでしょう。
 2024年1月1日に発生した能登半島地震・津波のように。

石川県 九十九湾 岸辺の巨岩

〈 魚津 米騒動とリンゴ並木 〉本州の海岸線一周 その58 

〈 魚津埋没林 〉本州の海岸線一周 その57

〈 新潟県最西端・富山県との境界 〉本州の海岸線一周 その56

〈 親不知海岸 〉本州の海岸線一周 その55

〈 糸魚川のヒスイ 〉本州の海岸線一周 その54

〈 柏崎海岸に沈む夕陽 〉本州の海岸線一周 その53

〈 良寛と夕日の丘公園 〉本州の海岸線一周 その52

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

〈 信濃川河口 〉本州の海岸線一周 その49

 
 
 

      前回の問題 解答
 「西海子小路」は、「さいかちこうじ」です。
  
 

 
      今日の問題  
 能登半島の「九十九湾」と、長崎県の「九十九島」は、それぞれ何と読むでしょう。
       

 

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〈 小田原文学館 〉小田原紀行 その二

 小田原城と相模湾との仲程に、小田原文学館があります。
 「最後の志士」とも呼ばれる田中光顕が建てた、スペイン風洋館です。
 そこには、小田原に居を構えた作家が、紹介されています。
 それらの作家のうち五人による代表作品の冒頭は、次の通りです。

   尾崎一雄 『まぼろしの記』
 挿木や根分けはもちろんだが、種子から育てた木でも、十年経つと結構大きくなるものだ。・・・
     日本の文学 52  中央公論社

   川崎長太郎 『伊豆の街道』
 花枝は、十一月から、暮へかけて一篇ずつ三回、竹七の小屋へ、夫の作品を持ちこんでいた。・・・
     日本の文学 80  中央公論社

   北村透谷 『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
 繊巧細弱なる文学は端なく紅湖の嫌厭を招きて異しきまでに反動の勢力を現わし来たりぬ。・・・
     日本の文学 77  中央公論社

   佐藤春夫 『女人焚死』
 六月七日。このころともなれば、さすがの寒国信濃の小県、筑摩あたりの山地にも春風が吹きはじめ、久しく雪に埋れていた野山にも草木の芽が萌える。・・・
     日本の文学 31  中央公論社

   谷崎潤一郎 『母を恋うる記』
 空はどんよりと雲っているけれど、月は深い雲の奥に呑まれているけれど、それでもどこからか光が洩れて来るのであろう、外の面は白々と明るくなっているのである。・・・
     日本の文学 23  中央公論社

小田原 文学館 表口

小田原 文学館 裏手

〈 小田原漁港 〉小田原紀行 その一

〈 魚津 米騒動とリンゴ並木 〉本州の海岸線一周 その58

 鳳来峡

〈 大陸と大陸の裂け目 〉メルボルン紀行 その11

 
 
 

      前回の問題 解答
 五月二十一日(太陰太陽暦・太陽暦で720年6月26日)に完成した編年体の歴史書は、『日本書紀』です。
  
 

 
      今日の問題  
 尾崎一雄・川崎長太郎・北村透谷・佐藤春夫・谷崎潤一郎のなかで、出生地が小田原なのは、誰でしょう。
       

 

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〈 小田原漁港 〉小田原紀行 その一

 小田原の名産と言えば、古くから蒲鉾が知られていました。
 相模湾で獲れる豊富な魚が、材料でした。
 さぞかし漁港も整備されていたのだろうと、推察されます。

 ところが、小田原に漁港はありませんでした。
 小田原の海岸は、御幸の浜に代表されるように、砂浜に覆われています。
 そこに漁港を建設するのは、難工事が予想されます。

 地元では漁港建設が悲願となっていましたが、機運が盛り上がっては戦争で中止が、繰り返されました。
 本格的な工事に着手したのは、第二次世界大戦から5年が経った、1950年でした。
 それから18年を費やし、1968年にようやく完成しました。

 漁港が完成してから今年で56年目に当たります。
 水田やミカン畑を掘って造られた、国内では珍しい掘り込み式漁港は、これからも相模湾の幸を続々と水揚げしてくれることでしょう。

小田原 港

〈 魚津 米騒動とリンゴ並木 〉本州の海岸線一周 その58

 鳳来峡

〈 大陸と大陸の裂け目 〉メルボルン紀行 その11

 
 
 

      前回の問題 解答
 総務省の調べによれば、缶コーヒー1杯(130円)は、お茶碗5杯分のご飯の値段に相当するそうです。
  
 

 
      今日の問題  
 小田原漁港は、「日本で一番、駅から近い漁港」がキャッチフレーズです。
 では、何駅から何分で着けるのでしょう。
       

 

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〈 魚津 米騒動とリンゴ並木 〉本州の海岸線一周 その58

 米一俵(60kg)の、東京・深川における年間平均価格です。
  1916年  五円五十銭
  1917年  八円十四銭
  1918年 十三円十銭
 1918年の米価は、1916年の米価の約2.4倍にも暴騰しています。
 1918年からはシベリア出兵が開始され、米価はさらに高騰が予測されます。

 1918年7月23日、魚津の港には、北海道へ米を移送しようとする輸送船が停泊していました。
 米が県外へ移送されれば、魚津の米の価格が上昇するのは必定です。
 食べられる米が無くなるかもしれません。
 そこで魚津のおかみさん達が輸送船の前に集まり、米の移送を止めるよう、歎願します。

 これを契機として、全国各地で米価高騰に対する抗議行動が巻き起こります。
 魚津での行動は、米騒動の発火点でした。

 米騒動が全国へ波及すればするほど、「発火点・魚津」は知れ渡ります。
 「発火点・魚津」は、一部の人々から誹謗や中傷の的にされます。

 そこで魚津は、米騒動の意義を広く伝えるとともに、豊かな街造りも進めます。
 その一環が、リンゴ並木です。

富山県 魚津 リンゴ並木

〈 魚津埋没林 〉本州の海岸線一周 その57

〈 新潟県最西端・富山県との境界 〉本州の海岸線一周 その56

〈 親不知海岸 〉本州の海岸線一周 その55

〈 糸魚川のヒスイ 〉本州の海岸線一周 その54

〈 柏崎海岸に沈む夕陽 〉本州の海岸線一周 その53

〈 良寛と夕日の丘公園 〉本州の海岸線一周 その52

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

〈 信濃川河口 〉本州の海岸線一周 その49

〈 阿賀野川河口 〉本州の海岸線一周 その48
 
 
 

      前回の問題 解答
 東北地方太平洋沖巨大地震が起こした巨大津波は、八戸(青森県)へ最大6.2mで押し寄せました。
  
 

 
      今日の問題  
 米騒動は、1918年からの第三次以前に、1890年の第一次と1897年の第二次があります。
 では、第二次米騒動の発火点となったのは、どこでしょう。
       

 
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鳳来峡

 長篠城付近で、北方から流れ来る豊川本流は、東北方向から流れ来る宇蓮川と合流し、豊橋平野(愛知県東部)を貫流します。
 その合流地点から10kmほど宇蓮川沿いに進むと、峡谷が続きます。
 鳳来寺山の麓に当たるところから、鳳来峡と名付けられています。
 
 峡谷周辺は、湯谷温泉街です。
 温泉街の西南端には、「馬の背岩」があります。

 火砕流などが堆積してできた凝灰岩の割れ目に、マグマが冷えて固まります。
 冷えたマグマは、安山岩となります。
 安山岩は、周囲の凝灰岩より硬いため、馬の背中のように見えます。
 
 このような岩の高まりである「馬の背岩」は122mも続き、国指定の天然記念物になっています。

鳳来峡

〈 魚津埋没材 〉本州の海岸線一周 その57

 鶴ヶ城 満開の桜

〈 湧水の街・松本 〉信州紀行 その九

〈 十枝の森 〉房総紀行

 
 
 

      前回の問題 解答
 東北地方太平洋沖巨大地震が起こした巨大津波は、宮古(岩手県)へ最大3.5m以上で押し寄せました。
  
 

 
      今日の問題  
 宇蓮川は、川底が板を敷き詰めたように見えるため、何川と呼ばれているでしょう。
       

 
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〈 魚津埋没林 〉本州の海岸線一周 その57

 1930年に魚津港建設のため砂浜を1mほど掘り下げると、200株を超える樹根が出現しました。
 樹根の大半は、スギでした。
 幹回りの直径が約2m、樹齢が約500年と推定される、巨木もありました。
 2000年ほど前の魚津海岸一帯は、鬱蒼としたスギの原生林だったのでしょう。

 魚津埋没林博物館には、乾燥展示館と水中展示館があります。
 乾燥展示館では、長さ約10mの幹や、直径約5.3mの樹根などを見ることができます。
 水中展示館では、発掘した当時の状況を見ることができます。

 それにしても、なぜ多数のスギが根を張った状態で海水面より下から見つかったかについては、不明なままです。
富山県 埋没材

〈 新潟県最西端・富山県との境界 〉本州の海岸線一周 その56

〈 親不知海岸 〉本州の海岸線一周 その55

〈 糸魚川のヒスイ 〉本州の海岸線一周 その54

〈 柏崎海岸に沈む夕陽 〉本州の海岸線一周 その53

〈 良寛と夕日の丘公園 〉本州の海岸線一周 その52

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

〈 信濃川河口 〉本州の海岸線一周 その49

〈 阿賀野川河口 〉本州の海岸線一周 その48

〈 笹川流れ 〉本州の海岸線一周 その47

 
 
 

      前回の問題 解答
 東北地方太平洋沖巨大地震が起こした巨大津波は、石巻(宮城県)へ最大8.6m以上で押し寄せました。
  
 

 
      今日の問題  
 魚津埋没林のほとんどが根の部分であるにもかかわらず、写真にある幹はなぜ残れたのでしょう。
       

 
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〈 新潟県最西端・富山県との境界 〉本州の海岸線一周 その56

 新潟県の海岸線総延長は、約635kmです。
 そのうち佐渡ヶ島の海岸線は約278km、粟島の海岸線は約23kmです。
 佐渡ヶ島と粟島の海岸線を除いた、新潟県の本州分の海岸線総延長は約334kmになります。

 山形県との境界に位置する新潟県の東端・村上市伊呉野から、二泊三日を費やして新潟県の本州分海岸線を縦断し、新潟県の西端に当たる糸魚川市も残りあとわずかです。
 親不知子不知の難所を通り抜けた旅人がほっと一息をついたという、旧宿場・市振を過ぎます。

 程なく川に差し掛かります。
 新潟県と富山県の境をなす、その名も「境川」です。
 渡るのは、「境橋」です。

 「境橋」の中間点が、新潟県最西端であり、富山県との境界となります。
新潟県 最西端  海側

新潟県 最西端 山側

〈 親不知海岸 〉本州の海岸線一周 その55

〈 糸魚川のヒスイ 〉本州の海岸線一周 その54

〈 柏崎海岸に沈む夕陽 〉本州の海岸線一周 その53

〈 良寛と夕日の丘公園 〉本州の海岸線一周 その52

〈 大河津分水 〉本州の海岸線一周 その51

〈 弥彦山 〉本州の海岸線一周 その50

〈 信濃川河口 〉本州の海岸線一周 その49

〈 阿賀野川河口 〉本州の海岸線一周 その48

〈 笹川流れ 〉本州の海岸線一周 その47

〈 県境を跨ぐ集落 隣家は他県 〉本州の海岸線一周 その46

 
 
 

      前回の問題 解答
 バンダイが実施した『小中学生の”遊び”に関する意識調査 2018年』によれば、「普段一人で遊んでいる」と回答(小中学生全体)したのは、74.3%でした。
  
 

 
      今日の問題  
 「境橋」の南奥に連なる飛騨山脈は、何アルプスと呼ばれているでしょう。
       

 
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