カテゴリー別アーカイブ: 開進学園

千利休と豊臣秀吉 その11

 1591年の二月二十八日(太陽暦では4月21日)、京都の街は、雨脚が強く、2cmもの大粒の雹も降り、雷も鳴り響く、異様な天気に覆われていました。
 これから起こる悲劇の序曲が、大音響とともに奏でられ出したかのように。

 千利休が控える屋敷は、3000名もの兵士によって、守り固められています。
 武将達のいずれかが、師と仰ぐ利休を助け出すために、進撃してくると思われたからです。

 天空や屋敷外の喧噪を余所に、屋敷の中は静まり返っています。
 利休は、最期の一服を飲み干すと、白装束に着替え、腹を切ります。
 白装束をほとばしる鮮血で染め上げながら、傍らにこの辞世を残して。

  人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺
  提る 我得具足の 一太刀 今此の時ぞ 天に抛
 
 秀吉が利休へなぜ切腹を命じたかは、500年を過ぎても、諸説が錯綜しています。
           < つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その10

 千利休と豊臣秀吉 その9

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 いつから「日本」に その八

 
 

     前回の問題 解答
 トリでありながらトリでない漢字は、「烏」です。
           

 
 
     今日の問題  
 千利休の辞世の最後・「天に抛」は、何と読むのでしょう。
             

  

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千利休と豊臣秀吉 その10

 京都から関東地方の小田原まで豊臣秀吉に随行してきた千利休は、東北地方の会津へは向かわず、京都へ戻ってしまいます。

 秀吉が奥羽仕置に精を出している最中であるにも関わらず、利休は、京都へ帰着するやいなや、茶会を繰り返します。
 さらに、『利休百会記』に記された茶会を精力的に催し続けます。

 利休が会津まで随行せずに京都へ戻ったのは、小田原の陣中における出来事が関係しているかもしれません。

 利休は、陣中で竹製の花入れを作り、秀吉へ差し出しました。
 すると秀吉は、差し出された花入れを地面へ投げつけたそうです。

 何故にそのような挙動を取ったのか、利休にとってはすごくショックだったでしょう。
 手製の花入れを無下にされたことに止まらず、茶の湯に関わる品々を身近な素材に替えようした矢先であれば尚更のこと。    < つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その9

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 いつから「日本」に その八

 
 

     前回の問題 解答
 「三連アーチ橋・中橋」は、完成してから89年経過しています。  
         

 
 
     今日の問題  
 利休は、京都へ戻った秀吉との仲を取り戻せたでしょうか。
            

  

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千利休と豊臣秀吉 その9

 1590年、西日本から東日本へ目を転じた豊臣秀吉は、関東地方の平定を目指します。
 小田原城内に立て籠もる北条氏を滅ぼすと、わずか四日後には、道路普請の命令を発します。
 「小田原から黒川(後の会津若松)までの街道(約300km)を、幅三間(約5.4m)に拡張し、整備せよ」と。

 秀吉は、徳川家康の領地を江戸に替えさせるとともに、関東地方の支配を家康に任せます。
 自身は、拡張整備された街道を北進して関東地方を抜け、会津へ入ります。

 それまで会津地方を領有していた伊達正宗を排除し、蒲生氏郷の領地を会津に替えさせるとともに、東北地方の支配を氏郷に任せます。
 こうして、九州地方から東北地方に至る、天下統一を成し遂げます。< つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 いつから「日本」に その八

 

     前回の問題 解答
  1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発しました。

     今日の問題
 千利休は、小田原まで秀吉に随行したでしょうか、会津まで秀吉に随行したでしょうか。

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〈 心 〉 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

  開進学園叢書・歌集『香る代に』( 二瓶カヨ子 作 千葉日報社 )から、〈 心 〉に因んだ短歌を三首紹介します。

 朝早く心はずみて来て見れば  
  職場の中に君がたて居れり  

 思ひてし事のみ多く心根の 
  そのままならぬ弱き吾かも 

 優しさの又その奥の優しさに 
  心ときめく若き日のごと 

shikishi harimado (2)

〈 吾 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 生きる 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 息吹 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 燃える 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 人の世 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 寒さ 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 落葉 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 父 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 さびし 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 
 

     前回の問題 解答
 黒紫色をしたナスの表皮をつくっている色素は、「ナスニン」です。
         

 
 
     今日の問題  
 1950年6月25日、何戦争が勃発したでしょう。 
            

 

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〈 パソコンとスマートフォン 〉表現学習の作品から

 モバイル社会研究所が、2024年に、こども達が使用しているパソコンとスマートフォンを、親はどのように見ているかを調査して公表しています。
   パソコンは学習用である    82%
   スマートフォンは遊び用である 90%

 今回の表現学習は、こども達から見たパソコンとスマートフォンについて、考えをまとめてもらいました。

 Aさんは、パソコンの良さを述べています。
 スマートフォンが受動的であるのに対して、パソコンは能動的な側面がありそうです。

 Bさんは、ネット社会の影響を述べています。
 ネット社会への依存性が強まれば強まるほど、こども達が被る影響は測り知れません。

2025 06 pasokon

〈 睡眠について考える 〉
   表現学習の作品から

〈 科学月刊誌『ニュートン』を参考に 〉
   表現学習の作品から

〈 日本の人口を考える 〉
   表現学習の作品から

〈 関心のあるテーマを選んで 〉
   表現学習の作品から


〈 科学月刊誌『ニュートン』を参考に 〉
   表現学習の作品から


〈 オリンピック・パラリンピック 〉
   表現学習の作品から

〈 発明・開発物語 〉 
   表現学習の作品から

 
 

     前回の問題 解答
  「北野大茶会」は、正式には「北野大茶湯」と呼ばれています。
        

 
 
     今日の問題  
 モバイル社会研究所の2024年の調査によれば、一日に一時間以上インターネットを利用して学習している中学生は、何%でしょう。
           

 

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千利休と豊臣秀吉 その8

 大阪城に続いて伏見城さらには聚楽第と、立て続けに造営した豊臣秀吉は、聚楽第完成祝いと九州平定祝いとを兼ねて、京都の北野において大茶会を企画します。

 秀吉が開催してきた茶会は、天皇や公家・大名級の武将・大商人など、上層の極めて一部に対象が限定されていました。
 秀吉は、それまでの茶会を一新させます。
 参加者を一般民衆まで拡大した茶会を催すことで、自身の権勢を広く見せつけようとしたのでしょう。
 「北野大茶会」は、「開かれた茶会」に加え、「十日間に渡る連日茶会」とされました。

 さぞかし大勢の参加者が連日押し寄せるだろうとの目論見は、無惨にも外れます。
 秀吉は、初日の参加者数から二日目以降の参加者数がさらに減少するは必至と予測し、「一日限定茶会」へ急変させます。

 連戦戦勝と勝ち戦が続いてきた秀吉にとって、「北野大茶会」は大誤算でした。
 茶の湯人気は止まる所を知らないと楽観視してきた利休も、覚醒させられました。   
                    < つづく >

  茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 いつから「日本」に その八

 
 

     前回の問題 解答
 人足寄場が開設されたのは、江戸時代三大改革の内、寛政の改革です。
        

 
 
     今日の問題  
 「北野大茶会」は、正式には何と呼ばれているでしょう。
           

 

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『 阿蘇海・天橋立・与謝海 』 6月の開進学園だより

 東西に長大な海岸線が続く若狭湾のうち、最も西側にあるのは、宮津湾です。
 宮津湾内で、奥まった東側が阿蘇海、間に天橋立を挟み、湾口寄りの西側が与謝海です。

 『枕草子』には、趣深い地形を紹介した章段があります。
 それらの中で、海は三ヶ所しか名前が挙げられていません。
   海は水うみ。与謝の海。かはふちの海。
 日本中には海域が数限りなくあるのに、与謝海が三本の指に数えられています。

 室町幕府の将軍・足利義満は、亡くなる前年まで、合わせて六回も、天橋立へ出かけています。
 天橋立を「宇宙の玄妙」と讃えながら。

 江戸時代に発行された『日本国事跡考』では、厳島・天橋立・松島が「三処の奇観」と紹介されます。
 これが、後になって「日本三景」と呼び換えられます。

 阿蘇海と与謝海双方の沿岸流によって、北岸にあった砂嘴は、南へ南へと延長し、南北に細長い砂州を造成します。
 そうなると、与謝海からの海水の流入が激減し、阿蘇海の水質が悪化します。

 そこで、『天橋立切断の願い』が、何度も提出されます。
 与謝海からの海水の流入を回復して阿蘇海の水質を改善するのか、あくまでも天橋立の景観を保全するのか、 阿蘇海と天橋立と与謝海との新たな連携が模索されています。

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『 つれづれなるままに 』 5月の開進学園だより

『 東京湾・伊勢湾・若狭湾 』 4月の開進学園だより

『 磁極の南北逆転 』 3月の開進学園だより

『 能登はやさしや土までも 』 2月の開進学園だより

『 四肢を超えたヘビ 』 1月の開進学園だより

『 しなざかる 』 12月の開進学園だより

『 二つのヘルツ 』 11月の開進学園だより

『 太古のニホン島 』 10月の開進学園だより

『 台風の盛衰 』 9月の開進学園だより

 
 

     前回の問題 解答
 1863年に、長州藩の藩庁は萩から山口へ移転します。
      

 
 
     今日の問題  
 赤染衛門の次の歌の◯に入る漢字は、何でしょう。
   思ふことなくてぞ見まし◯◯の海の
    天の◯◯みやこなりせば
           

 

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