千利休と豊臣秀吉 その10

 京都から関東地方の小田原まで豊臣秀吉に随行してきた千利休は、東北地方の会津へは向かわず、京都へ戻ってしまいます。

 秀吉が奥羽仕置に精を出している最中であるにも関わらず、利休は、京都へ帰着するやいなや、茶会を繰り返します。
 さらに、『利休百会記』に記された茶会を精力的に催し続けます。

 利休が会津まで随行せずに京都へ戻ったのは、小田原の陣中における出来事が関係しているかもしれません。

 利休は、陣中で竹製の花入れを作り、秀吉へ差し出しました。
 すると秀吉は、差し出された花入れを地面へ投げつけたそうです。

 何故にそのような挙動を取ったのか、利休にとってはすごくショックだったでしょう。
 手製の花入れを無下にされたことに止まらず、茶の湯に関わる品々を身近な素材に替えようした矢先であれば尚更のこと。    < つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その9

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 いつから「日本」に その八

 
 

     前回の問題 解答
 「三連アーチ橋・中橋」は、完成してから89年経過しています。  
         

 
 
     今日の問題  
 利休は、京都へ戻った秀吉との仲を取り戻せたでしょうか。
            

  

    夢を実現する学習塾  開 進 学 園
      ー ホームページ ー
 

周辺堤防より低い橋・中橋

 渡良瀬川上流にある足尾銅山が起こした煙害による山林減少、それに伴う山地崩壊などで、渡良瀬川は度々氾濫を繰り返してきました。
 特に1947年のカスリーン台風によっては、家屋流出が約6千戸、浸水家屋が約30万戸の被害が出ました。
 足利市内でも、九割以上が浸水し、泥を片付けるのに2ヶ月もかかったそうです。

 洪水対策として川沿いの堤防嵩上げなどが行われことによって、新たな難問が生じます。
 嵩上げされた堤防より、嵩上げされる以前に建設された橋が、低くなってしまったのです。
 堤防が高くなっても、橋脚部分が周辺堤防より低いままでは、橋脚部分から大量の氾濫を招いてしまいます。

 足利市の中心部を流れる渡良瀬川に架かる中橋は、1936年に完成しています。
 その後に周辺堤防は嵩上げされ、中橋は周辺堤防より約3mも低くなってしまいました。

 そこで、全国的にも貴重な「三連アーチ橋」を下流側へ移設して、歩行者・自転車共用になりました。
 車両用には、別個に橋を新設する計画です。

 周辺堤防より低い橋は、中橋以外にも全国各地にあると思われます。
足利市 中橋

『 台風の盛衰 』 9月の開進学園だより

 
 

     前回の問題 解答
 向津具半島の中央部に広がる大草原は、畳が数多く敷かれている広さに相当することから、千畳敷と呼ばれています。
         

 
 
     今日の問題  
 「三連アーチ橋・中橋」は、完成してから何年経つでしょう。
            

  

    夢を実現する学習塾  開 進 学 園
      ー ホームページ ー
 

始功 その7 健康気功教室

 【始功 その6 「開脚長座・上体左前屈」と「開脚長座・上体右前屈」】の続きです。
 始功の調べに合わせ、呼吸を重ねながら、体を動かします。

 始功第七は、「開脚長座・上体回旋」です。
 開脚長座の姿勢になります。
 上体と両脚は、畳面に垂直です。
 上体を、正面から左方向へ回旋させます。
 深く長く息を吐き続けながら、上体を回旋していきます。
 ゆっくりと、ゆっくりと、上体を回旋させます。
 カオとウデが後ろ正面を向いたら、上体を正面に戻します。
 短く息を吸いながら、迅速に行います。
 続いて、上体を、正面から右方向へ回旋させます。
 左右合わせて六回です。

 始功第八は、「閉脚長座・両脚抱え込み」です。
 閉脚長座の姿勢になります。
 上体と両脚は、畳面に垂直です。
 両脚を、上体に向けて屈折させます。
 深く長く息を吐き続けながら、両脚を屈折していきます。
 ゆっくりと、ゆっくりと、両脚を屈折させます。
 アゴとヒザが、ムネと大腿と下腿とカカトが密着したら、両脚を前方へ突き出しします。
 短く息を吸いながら、迅速に行います。
 合わせて六回です。       < つづく >

     < 健康気功教室 >
 と き 毎週木曜日
     10時30分~12時
 ところ 開進学園 二階の広間
  電 話 043-273-6613
 メール kokyu@kaishin.jp.net

  始功 その6 

  始功 その5 

  始功 その4

  始功 その3

  始功 その2

  始功 その1

  気と呼吸 その5 

  気と呼吸 その4 

  気と呼吸 その3 

  気と呼吸 その2 

  気と呼吸 その1 

  気になる体型 その13 

  畳む文化 坐る文化 その17 

kenkou kikou kyoushitsu

気功 広間

〈 本州最西北部・向津具半島 〉本州の海岸線一周 その101

 萩の市街地を後にして西へ進むと、金子みすゞの故郷である仙崎です。
 仙崎や対岸の青海島などに囲まれているのは、深川湾です。

 東側を深川湾とすれば、西側は油谷湾になります。
 この深川湾と油谷湾に挟まれて、北側の日本海へ突き出ているのが、向津具半島です。
 本州の最西北部に当たります。

 向津具半島は、難読地名でもあります。
 『漢字源 藤堂明保他編 学習研究社』によれば、三漢字の音読み・訓読み・名付け読みは、次の通りです。
  向 コウ む(く) 【名付け ひさ・むか・むき・むけ】
  津 シン つ   【名付け す・ず・づ】
  具 グ・ク     【名付け とも】
 上記を基にして、「向津具」の読みを推理します。

 正解は、「むか」+「つ」+「ク」=「むかつく」です。
 なお、「しゃくにさわって、腹が立つ」という意味の語句とは、一切関係ありません。

 向津具半島の中央部には、標高300m前後の、巨石の点在する大草原が広がっていました。
山口県 向津具半島

〈 三角州に造られた城下町・萩 〉
     本州の海岸線一周 その100

〈 日本一低い火山・笠山 〉本州の海岸線一周 その99

〈 阿武海岸・合併を避けた阿武町 〉
     本州の海岸線一周 その98

〈 益田海岸・三里ヶ浜 〉本州の海岸線一周 その97

〈 浜田マリン大橋 〉本州の海岸線一周 その96

〈 筆投島 〉本州の海岸線一周 その95

〈 キララビーチライン 〉本州の海岸線一周 その94

〈 追石鼻 〉本州の海岸線一周 その93

〈 日御碕 〉本州の海岸線一周 その92

〈 多古鼻 〉本州の海岸線一周 その91

 
 

     前回の問題 解答
 千利休は、小田原まで秀吉に随行しました。
         

 
 
     今日の問題  
 向津具半島の中央部に広がる大草原は、畳が数多く敷かれている広さに相当することから、何敷と呼ばれているでしょう。
            

  

    夢を実現する学習塾  開 進 学 園
      ー ホームページ ー
 

 

千利休と豊臣秀吉 その9

 1590年、西日本から東日本へ目を転じた豊臣秀吉は、関東地方の平定を目指します。
 小田原城内に立て籠もる北条氏を滅ぼすと、わずか四日後には、道路普請の命令を発します。
 「小田原から黒川(後の会津若松)までの街道(約300km)を、幅三間(約5.4m)に拡張し、整備せよ」と。

 秀吉は、徳川家康の領地を江戸に替えさせるとともに、関東地方の支配を家康に任せます。
 自身は、拡張整備された街道を北進して関東地方を抜け、会津へ入ります。

 それまで会津地方を領有していた伊達正宗を排除し、蒲生氏郷の領地を会津に替えさせるとともに、東北地方の支配を氏郷に任せます。
 こうして、九州地方から東北地方に至る、天下統一を成し遂げます。< つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 いつから「日本」に その八

 

     前回の問題 解答
  1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発しました。

     今日の問題
 千利休は、小田原まで秀吉に随行したでしょうか、会津まで秀吉に随行したでしょうか。

    夢を実現する学習塾  開 進 学 園
      ー ホームページ ー
 

〈 心 〉 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

  開進学園叢書・歌集『香る代に』( 二瓶カヨ子 作 千葉日報社 )から、〈 心 〉に因んだ短歌を三首紹介します。

 朝早く心はずみて来て見れば  
  職場の中に君がたて居れり  

 思ひてし事のみ多く心根の 
  そのままならぬ弱き吾かも 

 優しさの又その奥の優しさに 
  心ときめく若き日のごと 

shikishi harimado (2)

〈 吾 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 生きる 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 息吹 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 燃える 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 人の世 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 寒さ 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 落葉 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 父 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 さびし 〉
 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 
 

     前回の問題 解答
 黒紫色をしたナスの表皮をつくっている色素は、「ナスニン」です。
         

 
 
     今日の問題  
 1950年6月25日、何戦争が勃発したでしょう。 
            

 

   夢を実現する学習塾  開 進 学 園
      ホームページ 

地這いのナスとキュウリ

 支柱を立てねばと思いつつ、二週間が過ぎていました。
 久しぶりの家庭菜園は、丈の高い草々で覆われています。
 どこにナスがあるやら、どこにキュウリがあるやら、皆目見当がつきません。

 と、そこに、紫色の光が射してきました。
ナス 花の2

 続いて、黄色の光も射し込んできました。
キュウリ 花

 一輪ずつの花は、木漏れ日も射さない中で、密やかに花開いていました。

 しばらく草を取り続けていると、ビックリ仰天です。
 黒紫色をした巨大な物体が、地表に横たえているではありませんか。

ナス 地這い

 30cmを優に超える、大ナスでした。

 さらに草を取り続けていると、またまたビックリ仰天です。
 深緑色をした巨大な物体が、地表に横たえています。

キュウリ 地倍

 これまた、30cmを優に超える、大キュウリでした。

 草取りもせずに、支柱を立てるのが遅れたせいで、ナスとキュウリは地這えせざえるをえませんでした。
 それは、幸運だったかもしれません。
 大地を敷き布団に、草々をタオルケットにして、スクスク育てたからです。
 手際よく支柱を早めに立てていたら、支柱から垂れ下がった体勢で、苦しい日々を送らざるをえなかったでしょう。

 

  紫藤・白藤・黄花藤

  千葉公園の桜

  春の到来を象徴する食材(植材)・ナノハナ

  「七種粥」と「七草粥」

  葉から芽 ハカラメ

  彼岸のヨルガオ

  トウガンの味噌汁一杯分切り売り

  「五月晴れ」にキアゲハは

 
 

     前回の問題 解答
 『南極条約 第一条』の◯◯に入る漢字は、「軍事」です。
 南極地域は、平和的目的のみに利用する。
 ◯◯基地及び防備施設の設置、◯◯演習の実施並びにあらゆる型の兵器の実験のような◯◯的性質の措置は、特に、禁止する。
         

 
 
     今日の問題  
 黒紫色をしたナスの表皮をつくっている色素は、何と呼ばれるでしょう。
            

 

   夢を実現する学習塾  開 進 学 園
      ホームページ