月別アーカイブ: 2023年4月

タケノコの再生

 大地の温もりに誘われてか、例年より早くタケノコが顔を出しました。

 春の味覚・タケノコ料理の出番です。
   刺身
   海鮮炒め
   皮ごとの蒸し焼き
    ・・・

タケノコ 2023 顔出し
 
 程良い大きさの物もありますが、育ち過ぎもあります。
 そのままにしていてはタケだらけで庭中が鬱蒼となりかねないので、大きいタケノコも時間をかけて掘り出すと、グッタリ。
 まるで死に体のようです

タケノコ 2023 横たわる

 これでは、あまりにも不憫です。
 そこで、「タケノコ再生プロジェクト」が、始まりました。

 玄関先に大きい植木鉢を用意して、中に安置しました。
 土も入れました。
 水も遣りました。

 果たして、タケノコの再生は、成るでしょうか。
タケノコ 2023 植木鉢

 

      前回の問題 解答
 琵琶湖疎水第二トンネル出口に掲げられている扁額です。
  随山到水源(やまにしたがいて、すいげんにいたる)
 
 

       今日の問題 
 タケノコの生産量第一位は、何県でしょう。

 

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〈 琵琶湖疎水 〉春隣の京都紀行 その六

 琵琶湖の水は、琵琶湖南端から流れ出て、宇治川として京都市街の遥か南部を西進して行きます。
 比良山地に隔てられて、琵琶湖の西方に位置する京都市街へ、琵琶湖の水は寄与せずにきました。

 明治に入り、琵琶湖の水を京都市街へ導こうという構想が高まります。
 重機が無い時代に、人力を用いて。
 お抱え外国人に頼らず、日本人だけの手で。

京都 琵琶湖疎水 水路

 琵琶湖疎水の蹴上にあるトンネルには、「楽百年之夢」という扁額が掲げられています。

 京都の水不足を解消させよう。
 都でなくなった京都に活力を与えよう。

 京都新時代を創出する、願いが込められています。
京都 琵琶湖疎水 トンネル
 
 琵琶湖疎水の活用の第一は、水運です。
 
 ただし、下りはともかく、上りが大変です。
 そこで、線路上の台車に船を載せて上る、インクラインが考案されました。

 大自然に敢然と向き合う先人達の気概に、感心するばかりです。
京都 琵琶湖疎水 インクライン

〈 禅林寺(永観堂)の多宝塔 〉春隣の京都紀行 その五

〈疎水分水路(哲学の道) 〉春隣の京都紀行 その四

〈 東山慈照寺(銀閣寺) 〉春隣の京都紀行 その三

〈 梅苑「花の庭」 北野天満宮 〉春隣の京都紀行 その二

〈 大文字の火床は雪化粧 〉春隣の京都紀行 その一
 

 

      前回の問題 解答
 本丸の全ての建物と追手門が現存している城郭は、高知城だけです。
 
 

       今日の問題 
 琵琶湖疎水第二トンネル出口に掲げられている扁額の「 」に入る漢字は、それぞれ何でしょう。
  随「 」到「 」源

 

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畳む文化 坐る文化 その15 健康気功教室

 このように「正座」は、様々な利点を有しています。
 同時に、様々な欠点も有しています。

 一つ目は、「正座」を続けると脚が痺れることです。
 これを活用して、「正座」は体罰やしごきに用いられてきました。

 二つ目は、足の芯である足の平(足の裏)に、両手の指を当て難いことです。
 これでは、氣功の坐位としては使えません。

 そこで、安静坐位を推奨します。

  ➊ お尻も、左脚も、右脚も、畳に接する。
  ➋ 左脚は前寄りに、右脚はお尻寄りに、揃える。
  ➌ 両手は、下腹部に当てる。

 こうすれば、足の芯である足の平(足の裏)を見つめながら、両手の指を当てて呼吸し続けられます。
 両手を下腹部に当てたまま、手の支えを借りずに、坐れます。
 両手を下腹部に当てたまま、手の支えを借りずに、立ち上がれます。
 長時間、安静坐位の同じ姿勢を保てます。
       < つづく >

      < 健康気功教室 >
  と き  毎週木曜日の10時30分~12時
  ところ  開進学園 二階 広間
   電 話  043-273-6613
  メール   kokyu@kaishin.jp.net

  畳む文化 坐る文化 その14

  畳む文化 坐る文化 その13

  畳む文化 坐る文化 その12

  畳む文化 坐る文化 その11

  畳む文化 坐る文化 その10

  畳む文化 坐る文化 その9

  畳む文化 坐る文化 その8

  畳む文化 坐る文化 その7

  畳む文化 坐る文化 その6

  畳む文化 坐る文化 その5

  畳む文化 坐る文化 その4

  畳む文化 坐る文化 その3 

  畳む文化 坐る文化 その2 

  畳む文化 坐る文化 その1
kenkou kikou kyoushitsu

気功 広間

〈 高知城 追手門 〉土佐紀行

 高知城の築城に取り掛かったのは1601年、関ヶ原の戦いの翌年です。
 本丸と二の丸が完成したのは1603年、徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開いた年です。
 全城郭が整ったのは1611年、着工以来10年を要しました。

 それから百年余りが経過した1727年、城下が大火に見舞われます。
 高知城も、天守をはじめとして、ことごとく焼け落ちてしまいます。
 消失を免れたのは、城の玄関に当たる追手門(おうてもん)だけでした。

 その後、1749年に天守が再建されます。
 本丸・二の丸・三の丸の全体が再建されるには、25年もかかっています。

 明治に入り、全国の城郭に対して廃城令が発令されます。
 高知城でも、二の丸と三の丸などの建物は、取り壊されました。
 残されたのは、天守などの本丸建造物と追手門 だけでした。

 現在、追手門越しに天守の姿を眺められるのは、全国で高知城だけです。
高知城 大手門

高知城 天守閣

高知城 国宝 石碑

〈 鍋焼きラーメン 〉土佐紀行

〈 久礼の大正町市場 〉土佐紀行

〈 四万十川の沈下橋 〉土佐紀行

〈 四万十川の源流部 〉土佐紀行

〈 三輪タクシー・ツノトゥク 〉土佐紀行

〈 片岡兄弟の生家 〉土佐紀行

〈 皿鉢料理 〉土佐紀行

〈 高知線(土讃線)発祥の地 〉土佐紀行

〈 路面電車 とさでん交通 伊野線 〉土佐紀行

〈 ひろめ市場 カツオの藁焼き 〉土佐紀行

〈 とさでん交通 路面電車の車庫 〉土佐紀行

〈 アンパンマン像とからくり時計 〉土佐紀行

〈 はりまや橋 〉土佐紀行

 

      前回の問題 解答
 サウード家とアブドルワッハーブ家による 「サウジアラビア王国」が始まった1744年当時、江戸幕府の将軍職に就いていたのは徳川吉宗です。
 
 

       今日の問題 
 本丸の全ての建物と追手門が現存している城郭は、全国にいくつあるでしょう。

 

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〈 タイと王政/サウジアラビアと王政 〉4月のわくわく学習会

 3月のわくわく学習会のテーマは、「サウジアラビアと王政」でした。

  「サウジアラビア王国」という名称は、「サウード家のアラビア王国」を意味しています。
 ただし、サウード家のみによる単独支配ではありません。

 確かに、政治的権威を保持しているのは、サウード家です。
 そこに、宗教的権威を保持している、アブドルワッハーブ家が加わります。
 「サウジアラビア王国」は、サウード家とアブドルワッハーブ家の、共同支配体制です。

 イスラーム国家であるとともに、イスラーム世界の盟主を自負している「サウジアラビア王国」は、一王族による政教一致ではなく、二族による政教分離を、300年近くに渡って続けています。
 
 4月のわくわく学習会は、3月のテーマ・「サウジアラビアと王政」に続き、 タイの王政について考えます。

   < 4月のわくわく学習会 >
と き  4月15日(土) 14時00分~15時00分
ところ  開進学園
テーマ  タイの王政
参加費  100円
連絡先  電話 043-273-6613(16時から)

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      前回の問題 解答
 『一個その他』や『コチャバンバ行き』などの作品を著し、鎌倉文学館の初代館長を務めた作家は、永井龍男です。
 
 

       今日の問題 
 サウード家とアブドルワッハーブ家による 「サウジアラビア王国」が始まった1744年当時、江戸幕府の将軍職に就いていたのは誰でしょう。

 

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〈 鎌倉文学館 〉鎌倉紀行 その二

 江ノ電の由比ヶ浜駅で下車し、町並を抜け、常磐山から連なる尾根へ入って行きます。
 受付を済ませ、招鶴洞と名付けられた短いトンネルを抜けると、そこは百年前の世界です。

 元加賀藩主だった前田家が建てた、一階がコンクリート造りで二階と三階が木造の、和洋折衷建築に目を奪われます。
 建物の先は、両脇に林を構えた広い芝生が続きます。
 さらにその先には、バラ園が続きます。

 和洋折衷の建物には、鎌倉に縁がある作家達の資料が展示されています。
 特に注目されるのは、作家達の自筆原稿です。

 何度も訂正したり書き加えたりした跡が、生々しく残されています。
 字体によって、性格が如実に表れています。
 活字によって整えられた書物に加えて、生原稿そのものによる書物の発行を切望して止みません。

 鎌倉文学館を訪れたのは、四年間に渡る長期休館が始まる前日でした。
 冷たい雨が、まるで氷柱が垂れ下がるように、軒から滴っていました。

鎌倉文学館

〈 大仏様の涙 〉鎌倉紀行 その一

 

      前回の問題 解答
 病人や貧しい人々に分け与えるために禅林寺境内に植えられたウメの木々は、「悲田梅」と呼ばれています。
 
 

      今日の問題 
 『一個その他』や『コチャバンバ行き』などの作品を著し、鎌倉文学館の初代館長を務めた作家は、誰でしょう。

 

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