〈 十三湖と十三湊 〉本州の海岸線一周 その35

 龍飛崎(津軽半島の最北端)を後にして、小泊道・竜泊ラインとも呼ばれる国道339号線を南下します。
 この津軽半島西岸は、日本の秘境100選の一つになっています。

 海岸線を離れる国道339号線に代わって、県道12号線・十三道を進みます。
 するとまもなく、十三湖に着きます。

 十三湖は、津軽平野の中央部を北流する岩木川が、日本海へ流出する地点にあります。
 周囲長は約31km、水深は最大でも数mしかありません。
 淡水と海水が混ざり合う条件を生かし、シジミ漁が盛んです。

 鎌倉時代から室町時代にかけて、十三湖の西岸に、十三湊が栄えました。
 博多津などと並ぶ、当時の日本十大港の一つに数えられるほどでした。
 やがて、流入する河川からの堆積作用などにより、水深は浅くなる一方で、港としての役割を果たさなくなっていきます。

青森県 十三湖

〈 津軽半島最北端 龍飛崎 〉本州の海岸線一周 その34

〈 階段国道 〉本州の海岸線一周 その33

〈 アジサイロード 〉本州の海岸線一周 その32

〈 義経海浜公園 〉本州の海岸線一周 その31

〈 仏ヶ浦 〉本州の海岸線一周 その30

〈 本州最北端の・・・ 〉本州の海岸線一周 その29

〈 本州最北端 大間崎 〉本州の海岸線一周 その28

 

 

      前回の問題 解答
 長野盆地は、別称で「善光寺平」と呼ばれています。
 

      今日の問題  
 「十三湖」と「十三湊」は、それぞれ何と読むでしょう。 
       

 
 
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気になる体型 その5 健康気功教室

 体全体が映る鏡を見ながら、自分の体型を時々確認して下さい。

 まずは、体の正面からです。
 両脚を肩幅に開き、左手を左外の太ももに、右手を右外の太ももに添えます。

 ① 肩は、上がっていないでしょうか。
   上がっているようなら、一旦肩を上げてから力を抜いて、肩をしっかり下ろしましょう。

 ② 左肩と右肩を結ぶ線は、床に対して、平行になっているでしょうか。

 ③ 鼻筋と喉仏を結ぶ線は、両肩を結ぶ線に対して、垂直になっているでしょうか。

 ④ 左脚と右脚は、平行になっているでしょうか。

 ⑤ 鼻筋と喉仏と臍を結ぶ線は、床に対して、垂直になっているでしょうか。

     < 健康気功教室 >
 と き  毎週木曜日 10時30分~12時
 ところ  開進学園 二階 広間
  電 話  043-273-6613
 メール   kokyu@kaishin.jp.net

  気になる体型 その4 

  気になる体型 その3 

  気になる体型 その2

  気になる体型 その1

  畳む文化 坐る文化 その17 

  畳む文化 坐る文化 その16 

  畳む文化 坐る文化 その15

  畳む文化 坐る文化 その14

  畳む文化 坐る文化 その13

  畳む文化 坐る文化 その12

kenkou kikou kyoushitsu

気功 広間

〈 信濃善光寺 〉信州紀行 その一

 長野駅から十八丁(約2km)離れて、信濃善光寺があります。
 正しくは、信濃善光寺から十八丁離れた地点に、長野駅が開設されました。
 長野駅前から、参道が信濃善光寺へ伸びています。

 信州 善光寺 参道

 参道が境内に入る地点に、「長野市道路元標」の標柱が立っています。
 信濃善光寺は、長野市の原点となっています。
 長野の街は、信濃善光寺の門前町として、歩んできました。

信州 善光寺 道路元表

 信濃善光寺は、日本へ入ってきた仏教が各宗派に分立する前の644年に創建されました。
 それゆえ、無宗派の仏教寺院です。
 参詣者を迎えてくれる山門は、1750年に建立された重要文化財です。

信州 善光寺 山門

 本田善光が飛鳥時代に、うち捨てられていた阿弥陀如来像を、難波から信濃へ運び入れました。
 そこから、善光寺と名付けられたと言われています。
 本堂は、間口が約24m、奥行きが約54mもある巨大建築で、国宝に指定されています。

信州 善光寺 本堂

〈 伊勢神宮の式年遷宮 〉伊勢志摩紀行 その八

〈 五十鈴川の木除け杭 〉伊勢志摩紀行 その七

〈 おかげ横丁 〉伊勢志摩紀行 その六

〈 伊勢神宮のまがたま池 〉伊勢志摩紀行 その五

〈 伊勢神宮の「亀石」 〉伊勢志摩紀行 その四

〈 伊勢神宮の「要石」 〉伊勢志摩紀行 その三

〈 鳥羽港を照らす日の出 〉伊勢志摩紀行 その二

〈 英虞湾 横山展望台 〉伊勢志摩紀行 その一
 

 

      前回の問題 解答
 初秋は、太陰太陽暦で七月・文月に当たります。
 

      今日の問題  
 長野盆地は、別称で何平と呼ばれているでしょう。 
       

 
 
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暮れなずむ その一

 晩夏から初秋にかけて、陽は6時過ぎに沈んでいました。
 5時前は陽射しがあり、登塾する塾生との挨拶は迷わず「こんにちは」でした。

 中秋から晩秋にさしかかり、陽射しは日増しに早じまいしていきます。
 そうなると、挨拶の言葉に窮していきます。

 まだ陽射しがあると捉えれば、「こんにちは」です。
 陽射しが弱くなっていることを重視すれば、「こんばんは」です。

 先週は「こんにちは」で問題なくても、今週は「こんばんは」にすべきか、迷ってしまいます。
 心の動揺により、「こんに・・・ばんは」というか細い声も聞えてきます。

 芸能界のように、午後でも、夕方でも、夜間でも、一日中「おはようございます」と挨拶用語が統一されていれば、悩まずに済むのでしょうが。 < つづく >
日の入り 富士山

  色なき風 その七

  色なき風 その六

  色なき風 その五

  色なき風 その四

  色なき風 その三

  色なき風 その二

  色なき風 その一
 

 

      前回の問題 解答
 太宰治は『津軽』の中で、龍飛崎を「本州の袋小路」と書き表しています。
 

      今日の問題  
 初秋は、太陰太陽暦で何月に当たるでしょう。
       

 
 
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〈 津軽半島最北端 龍飛崎 〉本州の海岸線一周 その34

 龍飛崎は、津軽半島の最北端になります。
 対岸の白神岬(松前半島・北海道)との距離は、約19.5kmです。

 本州最北端の大間崎(下北半島・青森県)と、その対岸の汐首岬(亀田半島・北海道)との距離は、約17.5kmです。
 龍飛崎~白神岬の方が、大間崎~汐首岬より、長くなっています。
 それでも、青函海底トンネルは、龍飛崎~白神岬を抜けています。

 青森駅から竜飛崎までの走行距離は、約70kmです。
 青森駅から大間崎までの走行距離は、約150kmです。
 青森からの地の利は、竜飛崎までが圧倒しています。

 そうしたこともあってか、蝦夷地までの航路は、三厩湊(下北半島・龍飛崎の近く)と,松前湊(亀田半島・白神岬の近く)を結んでいました。
 蝦夷地へ逃げ延びようとした源義経一行も、三厩湊(現義経海浜公園)を出港したようです。
 そして、津軽海峡を渡るに際し、龍飛崎の東隣にある島で、帯を締め直して気を引き締めたと伝えられています。
 現在、その島は「帯島」と名付けられています。

青森県 龍飛崎

〈 階段国道 〉本州の海岸線一周 その33

〈 アジサイロード 〉本州の海岸線一周 その32

〈 義経海浜公園 〉本州の海岸線一周 その31

〈 仏ヶ浦 〉本州の海岸線一周 その30

〈 本州最北端の・・・ 〉本州の海岸線一周 その29

〈 本州最北端 大間崎 〉本州の海岸線一周 その28

〈 本州の太平洋岸最北の地 尻屋崎 〉本州の海岸線一周 その27

 

 

      前回の問題 解答
 太陰太陽暦で十月・神無月に吹く、出雲へ出かける神々を送る風を、「神渡」と呼びます。
 

      今日の問題  
 太宰治は『津軽』の中で、龍飛崎を何(◯◯の◯◯◯)と書き表しているでしょう。
       

 
 
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色なき風 その七

 太陰太陽暦で九月・長月は、色取月とも呼ばれます。
 山頂から山里へ、北方から南方へ、木の葉を色づかせているのは、風の精でしょうか。

 十月・神無月に入ると、全国各地の神々が出雲へ参集すると、言われています。
 その際、神々が利用する乗り物は、風だそうです。

 「色なき風」とは、「吹いている様子がはっきりとはしないものの、確かに秋を感じさせる風」を言います。
 その「色なき風」を窓一杯に受けて、快調に学習が始まります。

 時間が経過し、陽が沈みだして空が赤みを帯びてくると、窓を開け放したままでは肌寒くなってきます。
 学びに燃える、秋の夜長の始まりです。
   秋風の窓ひとつづつしめゆけり 
    『月光抄』桂信子

      < 完 >

カーテン 風 

  色なき風 その六

  色なき風 その五

  色なき風 その四

  色なき風 その三

  色なき風 その二

  色なき風 その一

 

 

      前回の問題 解答
 伊勢神宮の式年遷宮は、およそ1300年間に渡って行われてきました。
 

      今日の問題  
 太陰太陽暦で十月・神無月に吹く、出雲へ出かける神々を送る風を、何と言うでしょう。
       

 
 
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〈 伊勢神宮の式年遷宮 〉伊勢志摩紀行 その八

 五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらし)で、手を清めた後、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の境内を進みます。
伊勢 五十鈴川

 やがて「正宮(撮影は禁止)」に着きます。
 社殿の中心をなす「正殿」は、古代からの建築様式である「唯一神明造」を、今に伝えています。

 正宮の東側は、「古殿地」と呼ばれる空き地になっています。
 次回(2033年)の式年遷宮の際、「正宮」を造営する用地です。

 式年遷宮は、社殿の造営と神宝の調製を20年ごとに行い、技術を長く伝承してきました。
 同時に、用材のリサイクルも兼ねていました。

 たとえば、五十鈴川を渡る宇治橋の両側に立つ鳥居です。
 右岸の鳥居は、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の旧棟持柱です。
 左岸の鳥居は、豊受大神宮(伊勢神宮外内宮)の旧棟持柱です。
 棟持柱(むなもちばしら)とは、「唯一神明造」で棟を支える大黒柱です。

 なお、次回の式年遷宮に伴って宇治橋両側の鳥居が立て替えられると、それまでの鳥居は別の神社の用材として再々活用されるそうです。
伊勢 内宮

〈 五十鈴川の木除け杭 〉伊勢志摩紀行 その七

〈 おかげ横丁 〉伊勢志摩紀行 その六

〈 伊勢神宮のまがたま池 〉伊勢志摩紀行 その五

〈 伊勢神宮の「亀石」 〉伊勢志摩紀行 その四

〈 伊勢神宮の「要石」 〉伊勢志摩紀行 その三

〈 鳥羽港を照らす日の出 〉伊勢志摩紀行 その二

〈 英虞湾 横山展望台 〉伊勢志摩紀行 その一
 

 

      前回の問題 解答
 「垂乳根の(たらちねの)」は、古くは「母」に、平安時代からは「親」にもかかる、枕詞です。
 「乳の実の(ちちのみの)」は、「父」にかかる枕詞です。
 

      今日の問題  
 伊勢神宮の式年遷宮は、何年間に渡って行われてきたでしょう。
       

 
 
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