〈 畝傍山 〉大和紀行その1

 大和三山のうち、東側の香久山・北側の耳成山に対して、西側に位置するのが畝傍山です。

 近鉄橿原線・畝傍御陵前駅で下車すると、正面に見える独立峰です。
 山の北側には神武天皇陵が、山の南側には橿原神宮があります。
 畝傍山登山口は、山の西側になります。

 その登山口にあるのが、畝火山口神社です。
 古くは、畝傍山の山頂に建立されていました。
 1940年の橿原神宮拡張工事の際、橿原神宮や神武天皇陵を見下ろす位置にあるのは問題だとして、畝傍山の西麓へ移転させられました。

 『万葉集 巻七 1335首』は、次の歌です。
   思ひ余り いたもすべ無み 玉襷 畝傍の山に われは標結ふ

 畝傍山の標高は199mで、大和三山の中で最高峰になります。
畝傍山 山容

畝傍山 山頂

〈 谷川岳天神峠 〉水上紀行その二

〈 大濠公園 〉築紫紀行その18

〈 関門国道トンネル・後編 〉門司紀行その10

〈 行徳のおかね塚 〉房総紀行

 

     前回の問題 解答
 鴨長明が若い頃に最も打ち込んでいたのは、琵琶です。
                              

 
 
     今日の問題  
 玉襷は、何に掛かる枕詞でしょう。
     

    

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〈 清少納言と『枕草子』/ 鴨長明と『方丈記』 〉12月のわくわく学習会

 11月のわくわく学習会のテーマは、「鴨長明と『方丈記』」でした。

 『方丈記』を著わした鴨長明は、賀茂川と高野川が合流して鴨川と名称を変える地に、生を受けます。

 長明にとって、川は生誕の地であり、成長の地でもありました。
 しかも、下鴨神社の神官の子として生まれており、川を神と崇める心は、幼少のころより世間の人々以上に育まれていたと思われます。

 川の流れは、日々絶えることはありません。
 何年も、何十年も、流れ続けます。
 ただし、流れる速さも、流れる量も、流れる様子も、一時として同じではありません。
 川面に映る姿も、四季の別はもちろん、昨日と今日ばかりか、刻一刻と変化を重ねます。

  行く河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
    『方丈記』 川瀬一馬:校注 講談社

 12月のわくわく学習会は、「清少納言と『枕草子』」がテーマです。

     < 12月のわくわく学習会 >
  と き 12月20日(土) 
      14時00分~15時00分 
  ところ 開進学園 
  テーマ 清少納言と『枕草子』
  参加費 100円
  連絡先 電話 043-273-6613(16時から)
  メール wakuwaku@kaishin.jp.net

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 〈 鴨長明と『方丈記』 〉 
          11月のわくわく学習会

 〈 天の川銀河 〉   10月のわくわく学習会

 〈 それぞれの憲法観 〉9月のわくわく学習会

 〈 基本的人権と天皇・皇族 〉
           7月のわくわく学習会

 〈 武器のない世界 〉 6月のわくわく学習会

 〈 糖化と水分摂取能 〉5月のわくわく学習会

 〈 豆料理の効能 〉  4月のわくわく学習会

 

     前回の問題 解答
 特定の武将だけに茶会を催す許可を、「御茶湯御政道」と呼びます。
                             

 
 
     今日の問題  
 鴨長明が若い頃に最も打ち込んでいたのは、何でしょう。
  A 大鼓(おおかわ)
  B 小鼓(こづつみ)
  C 太鼓
  D 琵琶
  E 笛
     

    

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茶室は戦国の世を その7

 織田信長は、名物狩りを徹底し、日本中に存在する内のかなりの割合の名物を手中に収めます。
 そして、功を遂げた武将には、収集した名物の中の一品を、授けます。
 足利将軍家のように権威を繋ぎ止めるための消極策としてでなく、権威を強め高めるための積極策として。

 戦国の世で命を賭け戦うのは、領地を拡張させるためです。
 信長麾下の武将達も、勝ち戦の後に恩賞を受けられるからこそ、信長の命令に従っています。
 それまでよりも高い地位を願う場合があるとしても、恩賞とすれば領地でしょう。

 ところが、領地を授かること自体に、不服を示す例が出てきました。
 面積や地勢など授かる領地の内容が問題ではなく、領地に代わる別な物を賜りたいとの願いです。 < つづく >

 茶室 松花堂

 茶室は戦国の世を その6

 茶室は戦国の世を その5

 茶室は戦国の世を その4

 茶室は戦国の世を その3

 茶室は戦国の世を その2

 茶室は戦国の世を その1

 千利休と豊臣秀吉 その15

 千利休と豊臣秀吉 その14

 千利休と豊臣秀吉 その13

 千利休と豊臣秀吉 その12

 千利休と豊臣秀吉 その11

 

     前回の問題 解答
 谷川岳は、群馬県と新潟県の境界に位置します。 
                             

 
 
     今日の問題  
 特定の武将だけに茶会を催す許可を、何と呼ぶでしょう。
     

    

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〈 谷川岳天神峠 〉水上紀行その二

 谷川岳ロープウェイを天神平山頂駅(標高1319m)で下車し、天神峠ペアリフトへ乗り換えます。
 7分ほどで、天神峠に到着です。

 天神峠の標高は1500m、11月の初旬にして雪交じりのあいにくの天候です。
 谷川岳の山頂まで3.0kmの地点ですが、谷川岳(標高1977mと1963mの二峰)の雄姿を望むことは叶いません。

 諦めきっていると、上空の厚い雲はそのままなれど、下空の雲が途切れ出します。
 南方が展望できるようになります。
 ついには、彼方に関東山地の山並みが広がっていきます。
 さらには、ほんの一瞬ながら富士山を遠望することができました。

谷川岳 天神峠

〈 谷川岳ロープウェイ〉水上紀行その一

〈 大濠公園 〉築紫紀行その18

〈 関門国道トンネル・後編 〉門司紀行その10

〈 行徳のおかね塚 〉房総紀行

 

     前回の問題 解答
 1970年から開始されたコメの生産調整は、減反政策と呼ばれています。
                             

 
 
     今日の問題  
 谷川岳は、何県と何県の境界に位置するでしょう。
     

    

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始功 その12 健康気功教室

 【始功 その11 「手の甲を向かい合わせにして、手指の開閉」と「両腕を左右に伸ばして、手指の開閉」】の続きです。
 始功の調べに合わせ、呼吸を重ねながら、体を動かします。

 始功第十七は、「両腕を頭上に伸ばして、手指の開閉」です。
閉脚長座の姿勢になります。
上体と両足は、畳面に垂直です。
上体と両脚は、静止します。
両腕を、頭上に伸ばします。
両方の手の平を、畳面と平行にします。
両手の親指と親指を接合します。
手指と手指の間を、開き始めます。
息を吐きながら、ゆっくりと、ゆっくりと、開き続けます。
開ききったら、指の間を閉じます。
短く息を吸いながら、迅速に行います。
合わせて六回です。

 始功第十八は、「開脚長座で前屈」です。
開脚長座の姿勢になります。
上体と両足は、畳面に垂直です。
上体と両脚は、静止します。
両手を接合します。
両手・両腕・上体を、前屈させて畳面へ近づけます。
息を吐きながら、ゆっくりと、ゆっくりと、前屈させ続けます。
畳面に接合したら、両手・両腕・上体を起こします。
短く息を吸いながら、迅速に行います。
合わせて六回です。      < つづく >

 

     < 健康気功教室 >
   と き 毎週木曜日
       10時30分~12時
   ところ 開進学園 二階の広間
    電 話 043-273-6613
   メール kokyu@kaishin.jp.net

 
  始功 その11 

  始功 その10 

  始功 その9

  始功 その8 

  始功 その7 

  始功 その6 

  始功 その5 

  始功 その4

  始功 その3

  始功 その2

  始功 その1

  気と呼吸 その5 

  気になる体型 その13 

  畳む文化 坐る文化 その17 

kenkou kikou kyoushitsu

気功 広間

〈 きらら浜と瓦そば 〉本州の海岸線一周 その112

 宇部市のときわ公園から北東方向へ周防灘沿いに進むと、広大な公園が見えてきます。

 一帯はきらら浜と呼ばれてきました。
 干潮時と満潮時の潮位は、最大で4mにもなります。
 確認された鳥類は、約160種に達します。
 まさに渡り鳥の交差点でした。

 そのような自然環境を活用しようと、干拓事業が始まります。
 1965年に286haに及ぶ干拓地が完成しますが、農地に活用されることはありませんでした。

 2001年に山口きらら博(21世紀未来博覧会)が開かれ、2006年には山口きらら博記念公園と改称されます。
 現在は、海の大草原として、様々な施設が開設されています。
  大芝生広場
  森のステージ
  フラワーガーデン
  スポーツ広場
   ・・・

山口県 きらら浜 風景

 きらら浜の一角にあるのが、「道の駅 きらら・あじす」です。
 食堂で提供されているのは、山口名物の瓦そばです。

 瓦は、建材の屋根瓦ではなく、食材専用に作られた瓦です。
 瓦の上には、茶そばと錦糸卵と細切り牛肉などが、載っています。
 山口ならではの、郷土料理です。

山口県 きらら浜 瓦そば

〈 宇部市の海底炭鉱 〉
     本州の海岸線一周 その111

〈 宇部市のときわ公園 〉
     本州の海岸線一周 その110

〈 壇ノ浦 〉本州の海岸線一周 その109

〈 火の山 〉本州の海岸線一周 その108

〈 唐戸市場とフクマネキン 〉
     本州の海岸線一周 その107

〈 関彦橋 〉本州の海岸線一周 その106

〈 世界一小さい下関漁港閘門 〉
     本州の海岸線一周 その105

〈 本州最西端・毘沙ノ鼻 〉
     本州の海岸線一周 その104


〈 角島大橋 〉本州の海岸線一周 その103

〈 本州最西北端・川尻岬 〉
     本州の海岸線一周 その102

 

     前回の問題 解答
  戦国の世、勝ち戦の後に賜る恩賞は、多くの場合領地です。
                             

 
 
     今日の問題  
 1970年から開始されたコメの生産調整は、何政策と呼ばれているでしょう。
     

    

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茶室は戦国の世を その6

 足利将軍家が衰退を重ね、戦国の世は、混迷の度を深めるばかりです。
 そのような中、破竹の勢いで権勢を強め続けたのが、織田信長です。

 拠り所としたのは、一にも二にも武力です。
 ただし、武力のみでは権勢を掌握しきれないとも、見抜いていました。

 敵対する勢力を武力によって次々と滅亡させながら、武力に匹敵する力の源泉を集めていきます。
 足利将軍家ゆかりの御物をはじめ、世間で評判の高い名物を、武力を背景にしながら、続々と収集します。
 一応は対価を支払うも、有無を言わせず、強引に、手に入れていきます。
              < つづく >

 茶室 松花堂

 茶室は戦国の世を その5

 茶室は戦国の世を その4

 茶室は戦国の世を その3

 茶室は戦国の世を その2

 茶室は戦国の世を その1

 千利休と豊臣秀吉 その15

 千利休と豊臣秀吉 その14

 千利休と豊臣秀吉 その13

 千利休と豊臣秀吉 その12

 千利休と豊臣秀吉 その11

 千利休と豊臣秀吉 その10

 千利休と豊臣秀吉 その9

 

     前回の問題 解答
 谷川岳ロープウェイの運行速度は、秒速6.0mです。
                             

 
 
     今日の問題  
 戦国の世、勝ち戦の後に賜る恩賞は、多くの場合何だったでしょう。
     

    

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